文月の前に
ちょうど一年前の今は部屋からも出られず、誰も信頼できず、唯一あやねちゃんにしか会えなかった。
かのじょはいつも、いいのいいのと言ってコーヒー代を払ってくれた。私はそれに甘えていた。よくわからない深夜のコンビニのバイトだけしていた。薬が二週間おきに変わった。医師を信頼できずに診察室で不貞腐れていた。
あまり私のことを知らないであろう彼に突然電話をして以来、時々電話をした。今思えば、なんで聴いていてくれたのかわからないほどひどい電話だった。電話をかけてはほぼ黙っていた。なんか話しなよ、とよく言われた。特に話すべきことがなかった。
彼が好きだと言った作家の本を読んで、音楽を聴きながら走っていた。「きみの鳥は歌える」を教えてくれたのも彼だった。新海誠や細田守とかアニメのことをよく言っていた。あの映画がクソだとか電話口で彼は言っていて、そういうのに安心した。
電話をすれば出てくれた。暇だからだ、と彼は言った。
泣きながら友人に手紙を書いた。あやねちゃんに立ち会ってもらってそれを渡した。
先が全く見えなかった。ただ暑くなっていくだけの夏だった。私の周りは不思議な繋がり方でゆるやかな綺麗な夏を迎えているように見えた。見えただけかもしれないが写真は美しい。美しい写真が残されているから私もそこにいたようだが、私はほとんど部屋にいた。よく泣いていた。毎日ひたすらに死にたかった。何をしても砂漠に立ち尽くすような虚無感で消えてしまいたかった。
頭に入らないのに本ばかり読んでいた。そのとき読んだ本は内容をさっぱり覚えていない。逃げるために文字を追った。
先日友人と電話をしていて、ぽろっと「消えたいよ」と言って、言ってからびっくりした。あ、言えたと思った。
ずっと最近まで、私は医師の前でも強がって、別に元気ですけど、みたいな態度をよくとってしまった。
医師との信頼関係がここ数ヶ月格段に上がった。先日医師にどうして誰かに自分の状態を言えないの?と訊かれた。格好つけたいだけです、誰にどう思われるとか言ってる場合じゃないですよね、と答えると若いねと笑われた。
医師と話す内容が具体的になった。ただつらい、死にたい、消えたい、つらいじゃなくて、こういう場合はこうしよう、こうなったら気をつけよう、ご飯は食べよう。
医師は臨床以外のことも大変に詳しく賢く、芸術や持続可能性や対話の話をしても一言うと十知っているようで、日本内に留まらず世界規模の知識を持っている。
持続可能性を考え出したら自分の考えなんてちっぽけでしょう、と彼は言った。本当にその通りです、と笑った。
去年人生、楽しみましょうね、と医師に言われると苛ついていた。無理だと思った。
今はそうねと笑えるようになった。
私は診察の度にいろんな質問をする。主に科学や心理学や精神分析の話を、知識を教えてくれる。
あなたは、パンドラの匣を開けてしまったようなものなのです。または、開けてはいけない洞窟に迷い込んだようなものです。
洞窟内にいつまでもいたり、匣を開けっぱなしではいけません。洞窟を丁寧に点検し、知り、全部片付けてから蓋をし、出口を探さねばいけません。
そういうのを通して、人生が豊かになるのです、と医師は言った。大丈夫です、成長しています。
どこかで読んだあの小説のようで、その小説のエンディングはその作家の他の作品とは異なり別れた妻が帰ってくるのだ。
昨日より何かが小さく変わっていくのがうれしい。
私の影響力と無力さの狭間で、うまくやってる人なんていないことを知る。
大好きなドラマの中の最終話の台詞。
「例えば、月曜日と木曜日に泣いたり、火曜日と金曜日は笑ったりして、そうやって続いていくのだと思います」(「それでも、生きてゆく」坂元裕二)
そうやって続いていくのだと思います。